こんせんとらぶ
1: 名前:みるみる☆05/12(水) 20:23:44
半径2mで愛して。
3: 名前:みるみる☆05/15(土) 14:30:44
1. 旧・最新
例えば、なまこを最初に食べた人を尊敬するっておっしゃる方、沢山いますよね。
確かにあのような生き物を食べようとするなんて、尊敬に値する偉業だと思います。
でも、それまでに河豚を食べて死んだ人もたくさんいるんじゃないでしょうか。
どこに毒があるかなんて、もう半分動物実験的に危険な試しを繰り返した結果ですよね。
そう、数え切れない失敗の上に、一つの成功がある。
無数の実験の上に、初めて完全が出来上がるのです。
私は、そんな風に実験体として送り込まれた、不完全なモノのお話をさせていただきたいのです。
4: 名前:みるみる☆05/15(土) 22:24:35
◆
嫌に厳重な段ボールの包装を、おそるおそる開ける手には汗が滲んでいた。
この暑さの中では汗くらい出るだろう、そう男は自分に言い聞かせて、現れた白い発泡スチロールをゆっくりと持ち上げた。
「……おお」
そこには瞼を閉じた女がいた。何故か髪は真っ白である。
茶色の箱に横たわる様は、まるで棺桶のようだ。
ビニールのような、タイヤのような化学の匂いが漂い、そこで男はようやく、ああ、そういえばこいつは人間じゃなかった、と我に返った。
説明書など読む気も起こらない。恐れと好奇心がごちゃ混ぜになった男は、そのロボットの踵に繋がっているコードを引っ張り、部屋に1つしかないコンセントに差し込む。
音もなくロボットは起き上がった。
「うわ」
男には棺桶から目覚めたドラキュラにしか見えない。
しかも、声を上げた拍子に、ロボットは白いロングヘアーを揺らして首だけでこちらを見た。
無表情である。
慌てて後ずさろうとしたら、右足が攣った。
「っつー!」
どうしてこのタイミングで、と男は己の日頃の運動不足を呪った。
ロボットは無表情でそれを見つめている。
「Hello.Nice to meet you.」
「え?」
「Please set your...」
「ちょっと待って、英語無理だって! 日本語喋って! 郷に入りては郷に」
「ニホンゴ」
男の言葉を遮るようにロボットは呟いて、暫くの間硬直している。
何かを探しているような気がした。
「こんにちは」
「……日本語喋れるんじゃん」
ほっとしたように溜息をつく男。
「貴方の名前を教えてください」
6: 名前:みるみる☆05/16(日) 22:58:55
◆
「安藤、優希」
「性別と年齢を」
「男で26歳だよ」
「結婚は」
「してなかったら何なんだよ。なんだこれ、尋問?」
「いえ、重要な設定項目です」
ロボットは何度か瞬きをした。どうやら中にあるコンピュータが情報の整理をしているようだが、瞬きをするなんて、良くできたロボットだと優希は思った。
「では、私を購入した理由と、主な私の任務、私の性格を決定してください」
「購入してない。お前を創った奴にモニターを頼まれただけだよ。任務って言うか、雑用してくれれば助かるかな。て言うか性格って何? 決めるの俺なの? どうでもいいよ、適当で」
そう、優希は知人の開発した所謂人型ロボットのモニターを任されたのだ。
開発といってもまだ途中で、不具合などをチェックする為にモニターを使った実験をすることにしたらしい。
だから理由なんて、お金が貰えるから、くらいしかない。
その素っ気ない解答にも関わらず、ロボットは全く動じない。
最新鋭のプライドなど無いのだ。
7: 名前:みるみる☆05/19(水) 20:52:57
「そうですか。では私の自己紹介をさせていただきます」
優希はそのロボットに興味があるわけではなかったし、自己紹介なんて人間のそれを聞くのも面倒なのにましてや機械かよ、とうんざりした。
しかし、日曜日の午後、他にすることもないので、胡座をかいてその自己紹介を聞き流した。
それによると、このロボットは介護から相談相手、恋人まで担当できる万能らしい。
髪が真っ白なのは、主人が設定した色に変えられるから。
手触りも本物の人間に近づけてあるらしく、優希が試しに太腿をつつくと、自分のとは違う、ゴムとも違う、滑らかで柔らかい感触がした。
関節から無骨なコードが見えることもなく、それは本当に1人の人間のように見える。
「声も性格も貴方の思うままに。私を便利な家政婦として扱うも良し、性欲の掃き溜めに使われても結構です」
優希は思わず顔をしかめた。
「ロボットとなんて、俺はそんなに悪趣味じゃないよ」
「自己紹介は以上で終わりです。宜しければ、後々便利だと思うので、私に名前を付けてください」
なんともちぐはぐな会話だと思いながら、優希は立ち上がり、クローゼットを開けた。
防虫剤の匂いがつんとする。
ハンガーに掛けられている服は、半分以上が女物だ。
これは別に、優希に女装癖があるわけではない。
そこから適当にワンピースを引き抜くと、ロボットに渡した。
「取り敢えず服を着よう。名前は、澪。澪でいいだろ?」
「みお、ですか」
その襟と裾に細やかなレースが印象的な、薄紫のワンピースを着ながら、ロボットは今貰ったばかりの名前を噛みしめるように呟く。
「この服は、誰のですか?」
「別れた彼女の。名前もそうだよ。なんだかんだ言って、未練たらたらだよな、俺」
2代目澪はここでやっと微笑んだ。
11: 名前:みるみる☆05/28(金) 22:43:02
◆
優希はまずは手始めに、とコインランドリーで乾かしたままの洗濯物を澪の前に山積みにする。
すると澪は、嫌な顔ひとつせずに、てきぱきと5日間溜まったタオルや下着をたたんでいく。
「ふうん。お前、便利だな」
「そういうものですから」
SF小説の読み過ぎなのか、優希はてっきり、何をしろこれをしろと逐一命令しなくてはいけないものだと思っていた。
流石最新鋭といったところだろうか。
友人も暇なのか凄いんだかわからない。
そのどちらとも言える可能性が高い。
優希は暫く4畳半の畳に寝転がって、驚くべき速さで積み上げられる真四角になった衣類を見ていた。
空はどっしり水分を湛えた大きな雲が大粒の雫をばらまき始めた。
暑い上にこの湿気では何のやる気も起きないくらい茹だる。
「腹減ったー」
半分口癖になっているその呟きを漏らすと、全ての洗濯物を畳み終えたらしい澪はすっと立ち上がった。
「はい、只今」
「ん? 作れんの?」
「勿論です。和洋中どれがお好みですか?」
「んー、冷蔵庫にある物で何か作って」
目の前を横切る人間のような踵とくるぶしを見つめながら、こいつはネコ型ロボットよりずっと凄いぞ、と優希は思った。
そのまま部屋の隅にある小さな流し台まで行くのだろうと思っていたら、歩みはその少し手前で止まった。
白い瞳が優希を見下ろした。
「緊急事態です」
「何だ?」
「コンロの所まで行けません」
そう言う澪の踵から伸びるコードは床から浮き、もう1歩踏み出せばコンセントが抜け落ちそうだ。
「…………」
優希は後で友人に電話をする事を決意をした。
12: 名前:みるみる☆05/30(日) 00:18:42
そもそもこの友人、同級生の中で頭はずば抜けて良かったのだが、どこか詰めが甘いというか、抜けている部分があった。
そんな性格だからこそ、優希とは1番交友が深かったのかもしれない。
優希は溜息をつきながら、冷蔵庫からチーズと発泡酒を取り出して、小さなちゃぶ台に置いた。
「昼間からお酒ですか」
「うるせえ。もう4時だ」
些か乱暴な動作でぶしゅ、とプルタブを引き上げ、そのまま口を付けて飲み下す。
特に酒好きというわけではないが、喉まで暑さに参っていたようで、冷たく苦い流れが心地いい。
13: 名前:みるみる☆05/31(月) 15:51:13
チーズも食べ終えた後、優希はタオルと髭剃りと石鹸類を適当な袋に入れて、ちょっと風呂に入ってくる、と言い残して家を出て行った。
これまでの話でも分かるように、優希は決して豊かな生活を送っているわけではない。
贅沢をしようと思えば、それなりにできる蓄えはある。ただ、そうしようと思わないだけ。
だから、部屋は四畳一間で風呂なしという嘘みたいな貧乏アパートを借りて暮らしている。
ちなみに家賃は月48000円。
当然そんなアパートが新築であるわけもなく、お隣から夜の営みの一部始終が響いてきて睡眠を妨げられることもしばしばであった。
ぺたんぺたんとゴム草履を鳴らして優希が帰ってくる時、その荷物は少し増えていた。
ただいまも言わずに、玄関に荷物を下し、前を見上げると澪は主人の帰りを待っていた。
ただし、その体は畳にうつ伏せになった姿勢から足を高く高く持ち上げ、そのまま顔の両隣に踵を着地させるという奇妙極まりない姿勢だった。
優希は感電したように飛び上がり、たった今閉めた扉に背中を強く打ち付けた。
一瞬で脳と心臓が握りしめられる感覚。
「ただいまくらい言ってください」
白い瞳は真っ直ぐ優希を見つめている。
「……お前、そのポーズなんだよ、あ、あれか、中国雑伎団、とか?」
「ただいま、と言ってください」
「っ、ただいま……」
「おかえりなさい」
そう言って澪はその姿勢のままこちらに歩いてくる。
がさごそ、畳を擦りながら。
「やめろやめろ、こっち来るな! その姿勢やめろ!」
「このようなジョークはお嫌いですか」
澪の両足が床を離れ、ばたぁんと元の位置に戻った。
15: 名前:みるみる☆06/12(土) 16:12:46
◆
一気に跳ね上がった心拍数を元に戻すように、優希は長い息を吐いてから、ゴム草履を脱いで部屋に入った。
「お前にエクソシストは絶対見せねぇ……」
勿論ロボットとして本日誕生したばかりの澪にそんな一昔前の映画のことが分かるわけもなく、ただ白い髪を揺らして首を傾げるだけだった。
そして、優希は雨粒に少し濡れたビニール袋を澪の目の前に置いた。
「何ですか? それ」
「コードが短すぎる君のために」
それは小さなカセットコンロとガスボンベだった。
優希はボンベをしっかりセットして、つまみを一気にひねった。
勢いよく青い炎が燃え上がる。
それを見て、満足そうに頷いた。
「包丁とまな板も持ってくる。水はペットボトルに詰めておく。冷蔵庫はぎりぎり届くだろ? ご飯、頼んだ」
16: 名前:みるみる☆06/12(土) 23:34:53
「それは、ここで料理を作れと言うことですか?」
澪は、早速水道水を空のペットボトルに詰め始めた優希の背中に尋ねる。
「それ以外の何物でもない」
流し台も含め4畳半の家に、コンロやらペットボトルやらを並べ、加えて人間1人分のスペースが無くなったとなれば、優希はこれから2畳分のスペースで生活をしていかなければならない。
ちゃぶ台が急に邪魔に思えてくる。
「有り得ねぇ、とんだ最新ロボだ」
とか何とか言いつつも、優希の表情は少し楽しそうだった。
18: 名前:みるみる☆06/20(日) 22:57:53
◆
2.隣人は変人
優希は澪を置いて、朝5時半の冷たい空気の中へ革靴を鳴らして行ってしまった。
優希は自家用車という物を持っていないから、駅まで歩いて、電車で移動するだけの時間を見積もると、いつもこんなに朝早い出勤になる。
澪は眠る必要がないので、朝3時半からそこらのレストランにも引けを取らないくらいの“break fast“を作り上げ、重箱にも詰まらないような弁当を用意し、優希に驚かれた。
「なぜ私が怒られたのでしょう、分かりません」
ほとんど手を付けられていない料理を目の前に、特に残念がるわけでもなく、澪は呟いた。
19: 名前:みるみる☆06/25(金) 21:50:15
暫く蝉のわんわん鳴り響く部屋に正座していると、隣からもの凄い爆音でR&Bが流れてきた。
蝉の声に風流を感じる心を持ち合わせていない澪は、さすがに眉をひそめることこそしなかった。
しかし、「最新」の脳によって、それが非常識な事であることくらいは分かる。
それと同時に、リズム感零の歌声が響き渡った。優希だったら怒るのだろうか。
声は歌いながら移動しているのが分かる。やがて優希の部屋の玄関までやってきた。
「腹減ったんすよー、優希さぁーん」
ごんごん、と乱暴な感じに扉がノックされる。
「優希さーん? 挨拶してないから怒っちゃった系? ちーっす、あ、仕事系?」
20: 名前:みるみる☆06/29(火) 00:41:53
一度澪はその声に応えるべきか否か迷ったのだが、なんだか自問自答をしているようにも聞こえて、暫く迷った後、「優希さんなら仕事に行きました」と答えた。
許可の言葉も無いのに、声の主は扉を開けた。
「……まじかよ」
相手は眉毛のない外国人だった。
地毛なのかは判断できないが、オリーブ色の髪をピンでこれでもかと言うくらい留めて、雑で小さなポニーテールにしている。
耳朶にはぎらぎら光るピアスと、携帯のストラップみたいな物(澪にはそう見える)を通している。
肩からちらりと覗くタトゥーもなんだか禍々しい。
スナイパーやってました、と言っても9割信じるぐらい、とても危ない感じの男だ。
でも、どこかちぐはぐなところがあって、威圧感は感じられない。
ひゅー、と男は口笛を吹いた。日本人よりは似合う。
「え、リアルリアル? 優希さんカノジョ系ー?」
澪の白い肩をがっちり掴み、その髪と同じ深い色の瞳で、澪の顔面を舐め回すように見つめる。
「えーやばい、まじ可愛いんですけど。てか白っ! あ、ひょっとしてあれ? 美白クリーム目と髪まで塗っちゃったーみたいな」
21: 名前:みるみる☆07/01(木) 16:11:46
外国人にしてはあまりにも流暢すぎる、というか通り越して崩れた日本語を使う男だ。
「失礼ですが、ご出身は?」
「ごしゅっしん? あ、俺のこと留学生か何かと思ってるー? 親はどっちもイギリス人なんだよねぇ。ま、俺は日本で生まれて日本で育った、生粋の江戸っ子的な」
ぺらぺらと喋っている間にも、澪は髪を触られたり、白い瞳をのぞき込まれたり、とにかくおもちゃにされている。
「そういうあんた、どこ出身? 名前は? あ、俺言ってなかったね、クレアっていうの。女っぽくて嫌なんだけど、優希さんも似たようなもんだしね」
22: 名前:みるみる☆07/05(月) 16:38:23
出身と言われても、澪にはどう答えて良いか分からない。
そんな回路は存在していないようだ。
「澪です。出身地は今のところありません」
「今のところって……」
「私は機械です」
澪のほっぺたをぶにぶにやっていた手がぴたりと止まった。
そして、色素の薄い睫毛が引っ張られるように上を向く。
比例するように、口角も上がる。
そしてクレアは、うくっ、というしゃっくりを無理に飲み込んだ様な声を出し、そして爆笑した。
何故そんなに笑われるのかは分からない。
ただ澪は、途中から目に涙を浮かべて腹を抱えるクレアを、呼吸でも苦しいのかと不思議そうに見つめるだけだ。
「……冗談がぶっ飛びすぎだよ、澪ちゃん」
「いえ、大真面目です」
そういって、澪は自分の踵に付いているコードを指さした。
23: 名前:みるみる☆07/12(月) 16:51:06
だから『彼女』ではありません。優希さんは私のモニターです。お腹が減っているようでしたら、そこにある物をご自由に」
クレアはコードを見て固まっている。
澪は、フリーズでもしたのだろうかと思ったが、人間だから勿論そんなこともなく、やがておそるおそるコードが握られた。
くい、とコードが引かれると同時に、澪の踵もささくれ立った畳の上を滑る。
24: 名前:みるみる☆07/14(水) 17:22:57
今度はもっと強く引っ張られる。
何かを確認するかのように、何度も何度も畳を擦る音がする。
やがてクレアは、ふうん、と落ち着いたように言った。
そして、ジャンクフードでも摘むように、冷え切ったオムレツを手掴みで口に運ぶ。
その味が気に入ったのか、飲み込む前に右手はもう一切れを摘んでいた。
「君、ジョークの才能に長けてるのかもねぇ」
それはつまり、まだ澪のことをロボットだとは信じず、ただ周到に用意された「どっきり」だと思っているという事だが、澪にはよく分からなかったのか、「ありがとうございます」と感謝を口にした。
夕方になり、澪も夕飯の準備を整えた頃に優希は帰宅する。
ブリッジをしたまま近寄って行くと、上に向いた顎を叩かれた。
「本当にやりやがった……」
もうするなと言われてしまったことを何故やったのかと詰問されると、澪は「ジョークの才能があると言われたので」と反省する素振りもなく答えた。
「言われたのでって……誰に?」
「お隣のクレアさんです」
優希は重い溜息をつく。面倒なことが起こりそうな予感がしたのかもしれない。
27: 名前:みるみる☆08/01(日) 00:16:06
澪がいそいそとご飯を茶碗によそっているのを、優希は朝顔でも観察するように眺めている。
そうそう、そんな事を小学校の夏休みにやった。
種をフィルムケースにたくさん溜めた様な気がする。
そう言えば、フィルムケースなんて最近めっきり見ないけど写真屋は大丈夫なんだろうか、とぼんやり思考を巡らせていたが、茶碗が目の前に置かれる音で我に返った。
「おい、ロボット」
白い瞳はこちらを向かず、ただ箸を優希の目の前に差し出す。
「無視かよ」
「澪です」
人工のまなこがぎらりとこちらを見据えて、強めな声が自分の名前をなぞった。
つくづく面倒なロボットだと優希は嘆息した。
そして、少しだけ自分の身の上話をした。
優希は、実は「本当の澪」との縁が完全には切れていないらしく、彼女からは時折電話がかかってくることもある。
独り言のような言葉が、茶碗から立つ湯気の上に零れる。
「今日になって気付いたんだ。こんな前の彼女の服を着せて同じ名前まで付けてしまった奴が家にいると、こう……なんか、胸が苦しいんだよ」
普通に考えればそんなこと分かりそうなものだが、あのときの優希はどうかしていたのかもしれない。
澪の答えは簡潔だった。
「名前を変えるのは嫌です」
「なんでだよ」
うんざりしたような顔で優希が言う。
ロボットは口答えしないところが魅力じゃないのか、と心の中で舌打ちした。
「面倒くさいんです。服なら脱ぎますから」
「服を脱ぐくらいなら名前を変えるのも同じじゃないか」
澪は紫のワンピースを脱ぎ捨てる。
幾らロボットとはいえ、精巧な作りである澪が「すっぽんぽん」になってしまい、優希は「うわっ」と反射的に顔を背ける。
「同じではありません。私の記憶データを変更しなくてはならないので」
「だだをこねるのは良いからまず服を着ろ!」
「着なくてはいけませんか?」
「勿論だ!」
優希の、少し丈の余る服を着ながら、「兎に角名前の変更はなしです」と澪はもごもご言っていた。
30: 名前:みるみる☆09/06(月) 09:47:51
◆
ごちそうさまと言って茶碗を重ねた優希は、仕事にいつも持っていく鞄を開け、何冊かの絵本を取り出した。
大きな表紙は端がめくれ上がり、その本が辿った時代を感じさせる。
「どれがいいと思う?」
澪は何のことか分からず、黙ってその少し色あせた表紙を眺めた。
「会社の慈善運動とか言ってさ、読み聞かせすることになったんだ、近くのこどもセンターで」
優希はあまり気乗りしない顔で言った。
確かに優希はそういうものが得意そうには見えない。
「似合いませんね」
澪は思ったことをそのまま口にした。
優希は溜息をついて髪をぐしゃぐしゃと掻いた。
似合う似合わないの問題ではないらしい。
澪は、その中から一番汚れている本を選んだ。
人気があるから読まれるし、読まれるから汚れるのだと、そういう風に推測してのことだ。
優希もあまり深く考えずにその1冊だけを鞄にもどし、後はちゃぶ台の上に置いた。
「猫が百万回も生きるとは思わないけどなぁ」
じゃあ風呂に行ってくると言って、優希は少し涼しくなった夕闇の中へ出ていった。
31: 名前:みるみる☆09/06(月) 16:06:20
◆
海老で鯛を釣るようなことがあっても、海老が鯛にはなれません。
お金でパンが買えるとしても、お金はパンになれません。
犬に服を着せたとしても、犬は恋人にはなりません。
何故って、本質的に違うからです。
◆
「あっつー! もう日本ってば熱帯地域入り確定じゃね? ストップ温暖化ー」
蝉の声が空気を溶かす昼下がり。
お気に入りなのか、部屋着なのか、またもや黒のタンクトップの襟で汗を拭いながら、クレアが部屋にずかずかと上がり込んできた。
澪は読んでいた絵本から顔を上げ、「不法侵入は犯罪です」と言った。
追い出すようなことはしない。澪も時間を持て余している。
「あっれー、絵本なんか読んじゃって、かわいー」
髪を鷲掴みにされてぐしゃぐしゃになり、澪はその絹のような流れを整えた。
「何読んでるの? 『人魚姫』? いいねー、ロマンだねー」
クレアは本を自分の側に寄せ、頼んでもいないのに朗読し始めた。
32: 名前:みるみる☆09/07(火)
変に間延びしたようなクレアの声が、彼なりに優しく、語りかけるように物語を紡ぐ。
オリーブグリーンの瞳が、大きめの文字を辿っていく。
時々襟元を引っ張っては首筋を伝う汗を拭い、飽きもせずに最後まで読み聞かせる。
澪にはよく分からなかった。
声を失って、愛する家族と別れて、茨のような足の痛みに耐えながら王子に笑いかける人魚の気持ち。
泡になっても、それでもいいと思える強い気持ちを抱いたことは、まだ無い。
「人間って、そんなに良いものですか?」
「え?」
喉がからからになったのか、麦茶をあおっていたクレアは目だけでこちらを見る。
「私には、よく分かりません」
俯いた白い顔が翳る。
そうだねー、とクレアは何故か少し笑って答えた。
暫くの沈黙を、窓から入道雲が覗き込む。
「実際そんなもんでもないかも」
朝も早くから起きて、満員電車に揺られて、外の景色なんか目もくれずに空調のきいた部屋で液晶とにらめっこ。
一生懸命にやっても替わりがいると言われ、やらなければ切り捨てられ、皆無関係のようにしていながら無愛想は嫌われる。
「なんつーか、こんなの俺じゃなくてもいいじゃんって。ロボットと何も変わらないっていうか。結局嫌になって辞めちゃった。まあ、人間らしい暮らしをすればそこそこ楽しいんだろーけど」
33: 名前:みるみる☆09/12(日) 01:03:45
その言葉には無意識であろうとも少なからずロボットに対する差別が感じられるが、澪は気にしなかった。
澪ちゃん人間に憧れてるの? と言われて、すぐに答えることができない。
澪には分からない。
このじりじり照りつける日差しの暑さも。
自己犠牲の愛も。
人間も。
憧憬も。
「私は、人間に憧れているのでしょうか?」
質問に質問で返されて、クレアは困ったように息を吐く。
白色人種特有の白く滑らかな肌を、汗の雫が滑り落ちた。
蝉の音に掻き消されそうなくらい小さな声で、わかんねえよと言われた。
「そんなの、自分の心に聞いてみないと。俺じゃ駄目」
こころ。
そんなものは、人体模型の中にだって無いものなのに。
「私に、心はあるんでしょうか」
澪は何か胸騒ぎのような物を感じた。
胸の中にあるのは心臓ではなくモーターだけれど。
もしかしたら、分からないことだらけで処理能力が追いついていないのかもしれない、と、澪は思った。
クレアは質問には答えない。
俺に聞かれても分からないと思っているかもしれない。
代わりに、ねえ澪ちゃん、ハグしてやろうかと言われた。
澪が答える前に、腕が伸びて澪の体を優しく締め付けた。
クレアの薄い胸板の中に、確かに心臓があるのを感じた。
暫くの間、澪は思考回路を停止して、その心音だけに耳を傾ける。
これが、にんげんなのだと彼女は思った。
胸騒ぎは、いつの間にか止んでいた。
34: 名前:みるみる☆09/13(月) 15:21:24
「機械の不具合でもあるのか?」
少しだけ心配そうに顔を覗き込んでくる優希に、いえ、と短く返答してから、澪は自分の大失態を一瞥した。
開いた炊飯器の中からは湯気も立たず、水の溜まったジャーのいつもよりずっと低いところに、白い米粒が沈んでいる。
スイッチを入れ忘れていることにさえ、今まで気づけなかった。
それをひどくがっかりするわけでもなく、優希は今澪が作った素麺を啜った。
「一応、今度あいつの家に持っていかないと」
そろそろモニターもお終いで良いだろう、と優希が呟く。
何気ない一言だったが、澪はそこで固まった。
それは澪の初めての決別を意味する。
しかも、もしも不良品だと見なされれば、澪は失敗作として鉄屑になってしまうのだ。
澪は何とも言えぬ気持ちになった。
それはいつもこの夕時になるとどろりと曇って窓に雨粒を滴らせるねずみ色の空に似ていた。
「私は、人間にはなれないんですね」
優希が咽せた。
きっとまたこのロボットは突拍子もないことを言い出したと思っているに違いない。
「え? 人間になりたいの?」
驚いているようで半分笑った声だ。
それに、今度は迷わず「はい」と答えた。
「私も人間になりたい。一人の人間として認められたい。痛いほどの感情に突き動かされてみたい。どうやら今の私には、それはないようです」
「『ようです』って……自分に心があるかどうかも分からないのか?」
そういう優希を澪はきょとんとした顔で見る。
「そう言うあなたには、あるんですか? 心」
優希が目を見開き、そして澪を見据える。
そこには明らかに嫌悪が混じっている。
「は? 何言ってんだ、お前」
「あなたは自分に心があるって、断言できますか? 自分の五感で確かめたことはあるんですか?」
澪の目に全く悪意は感じられない。それはまるで子どもが正論で大人を問い詰めるのに似ている。
けれどそれは余計に優希の神経を逆撫でした。
「お前、俺が何の感情も持たない冷酷非道な奴だって言いたいの? 悪いけど俺は人間だ。お前と一緒にするな」
そう言って、優希は澪の腹部に手を伸ばした。
その動作は乱暴で、瞳は冷たく燃えていた。
澪はとっさにその腕を掴む。
嫌な予感がする。
どうやら自分は、目の前の男を本気で怒らせる何かを言ってしまったらしい、と思った。
制止を振りはらい、優希は澪の着ている服をまくり上げた。
白く滑らかな肌が露わになる。
優希は一見境目の無いように見えるそこの、右側に手を掛ける。
「あ、」
嫌だ。
そんなこと、しないで。
おかまいなしに、優希はそのまま手前に引っ張った。
腹部が、開く。
無骨な機械が、そこにはあった。
真っ赤な血も、脈打つ心臓もない。
ただ、無機質に唸るモーターや、血潮ではなく電気の流れるコードがぎゅうぎゅうに詰め込まれている。
「これでわかっただろう」
優希の声は低く静かに言う。
「お前は人間にはなれない。自惚れるな」
ああ。
思い知らされた。
知っていたけど、突きつけられた。
私は機械なのだ。
優希が離れていく。
澪はそこで、自分にも強い感情があることを知った。
震える手で、開いた自分の腹部を閉じ、そのままうずくまる。
人はこういう時、「悲しい」と言うのだろう。
そして瞳からは涙が流れるのだろう。
自分も泣きたいと思った。
でも、澪にはできない。
生涯できない。
36: 名前:みるみる☆09/20(月) 23:54:46
◆
心配していた翌日の朝、意外にも優希は普段通り「おはよ」と澪に話しかけた。
それには澪の方が戸惑ったようで、無視され続けた時にどう対処するか考えていた回路は真っ白になった。
怒ってないんですか、と言おうか迷っている内に、優希の方から「昨日は悪かったよ」と切り出されたので更に驚く。
「やりすぎた。ついかっとなって、ほんと、ごめん」
「いえ、謝るのは私の方です」
昨日のことを思い出してまた胸がちくりと痛んだが、考えなしな言動をした私への罰だと澪はじっと耐えた。
炊飯器の中で、今日は上手く炊きあがった白米がつやつやと光り眩しい。
澪は実はこの蒸気を顔に浴びるのが結構気に入っている。
機械に蒸気というのはあまり良くない組み合わせなのだろうが、暫く浴びていると頬にうっすらと水滴ができ、汗のように見えるからだ。
優希が時々汗を拭いながらご飯を食べるのをうらやましいなあと思う。
もう少し浴びていたいと思ったが、ご飯が水分を失って乾くのも嫌だったので、澪は名残惜しそうに蓋を閉めた。
37: 名前:みるみる☆09/23(木) 13:52:30
優希がいつものように出て行った後、手持ち無沙汰になった澪は、ささくれ立った窓際の畳に寝転がった。
入道雲が囲む青空は、突き抜けるように明るい。
昼にかけて空の頂上に登っていく太陽は外のアスファルトをじりじり焦がし、立ち上る陽炎で車も電信柱もどろんとアイスのように溶けてしまいそうだ。
勿論澪は暑さを感じないので何てこと無い様子だ。
ふと、今日はまだクレアが来ていないことを思い出す。
クレアはそれが日常のように、毎日この部屋に上がり込んでは、澪を子どもでもあやすようにしておしゃべりをする。
優希はあまり快く思っていないようだが、澪は結構この時間が好きだった。
気付いたら、今日はまだ来ないかと待ちぼうけしているほどに。
いつもなら、もう来ても良い頃なのに。
38: 名前:みるみる☆09/26(日)
突然、隣の玄関の前で止まる4足の靴の音がした。
優希が仕事に履いていく革靴や、銭湯に行くときのゴム草履の音とは違う。
かつかつとヒールを鳴らす音。
ごすごすと鈍い、地面を擦る音。
あれは確か、クレアがよく履いているトレッキングブーツの音だろう。
こんな時間に外から戻ってくるなんて、クレアにしては珍しい。
高い女の声が、ドアの前で弾んでいるのが聞こえた。
クレアの聞き慣れたテノールボイスも、それに応えて、木漏れ日のような笑いが零れる。
「……そういうことですか」
今日は、クレアはここには来ない。
つぶす暇がないから。
目の前の愛しい人を、根っからの優しさでもてなすのだ。
夜まで、ずっと。
ふと、澪は自分がこれまでにないくらい沈んだ気持ちになっている事に気付いた。
どうして?
私は何か、あのひとに期待をしていたのかしら。
真っ青な空が急に目にしみるように感じて、澪は瞼を閉じる。
真夏の太陽が、瞼に焼き付いた。
あの太陽は一人だ、と思った。
でも、私とは違う。
太陽は、自分の存在を見せつけるように輝いている。
絶対にして、唯一無二の存在だ。
外で、子どもがはしゃいでいるのが聞こえる。
きっとこれから、近くにある市民プールにでも行くのだろう。
ぱたぱたと、小さな足が地面を蹴る音が家の前を通り過ぎた、その時だった。
足音が急に止まり、小さい子ども特有の高い声で、少女が何か叫んだ。
その声に澪は跳ね起きる。
何か、聞き間違いだろうかと、耳を研ぎ澄ます。
少女はもう一度叫んだ。
確かに、『澪ちゃん』と言った。
もう、澪は座ってはいられなかった。
ちゃぶ台を半分跳び越えるようにして、玄関へ。
ゴム草履が目に入った。
これまでにないくらい、胸騒ぎがした。
私を知ってる人がいる?
こんなことって、あるだろうか。
ドアノブに手を掛けようとした。
そこで、足首に違和感。
ちら、とそこへ目をやると、ぴんと張ったコードが目に入った。
その先には、コンセント。
プラグが、今正に抜けるところだった。
「――――っ」
ドアノブに手がかかった所まで、澪は覚えている。
そのまま手は滑り落ちた。
関節という関節に力が入らなくなり、澪は頭をドアに打ち付けながら崩れ落ちた。
39: 名前:みるみる☆09/30(木) 15:29:32
◆
一人と独りじゃ、恋と愛くらい違うと思います。
なんて、格好付けたことを言ってみたくもなりますが、私もひとりです。
どちらの「ひとり」かなんて、考えたくもないですが。
さあ、それでは、私がお話しするこの物語も、そろそろお終いにしましょう。
◆
何だこんな日に限って、と悪態をつきながら、優希は綻ぶ表情を隠しきれない。
脳裏に、さっき見た携帯の液晶画面が浮かぶ。
早く、部屋を片付けないと。
どうせ4畳一間だ、客人をもてなすには心細すぎるが、最善を尽くせばいい。
大事なのはこころ。
そっと乗らないとパイ生地のように崩れてしまうんじゃないかという様な錆びた鉄の階段を、優希は駆け上がる。
そのまま、自分の部屋の前まで小走り。
急いで扉を引く。
ごて、と鈍い音がして、何かがこちらに雪崩れてきた。
革靴に乗っかっているのは、白く長い髪。
優希は一瞬呆けた目でそれを見、だらしなく開いた口から「はあ?」と間延びした声を漏らす。
「いやいや、そんな事してる場合じゃないって!」
自分の行動か澪に対する突っ込みを入れて、優希は力なく地面に突っ伏している澪を重たそうに引きずっていき、コンセントにプラグを差した。
目を覚ました澪に、優希は切羽詰まった様子で言いつける。
「この辺綺麗にしとけ! ああ、あとお前も、どっか押し入れとかに入っとけ」
まだ頭がぼうっとしている澪を余所に、優希は床に散乱した仕事の書類やUSB、ノートパソコンをほとんど放り投げるようにして押し入れに仕舞う。
「お客様ですか?」
優希は手元に意識がいってしまっているのか、その質問には答えなかった。
その代わり、澪を一瞥すると、今しがた自分で差し込んだプラグを抜こうとする。
澪は慌ててその手を止めた。
「何をするんですか!」
「押し入れに入ってろって言っただろう」
「嫌です!」
途端に優希は心底うざったそうな顔になる。
反論しないのがロボットの良いところじゃないのか。
そんなことを以前も言われた。
「あ、あの、ちゃんと押し入れには入りますから、じっとしてますから、だからこれだけは、抜かないでください」
そう言い寄る澪の表情は今までになく怯えている。
瞳は大きく揺れ、手も小刻みに震えている。
そんな澪に、優希は「お前、何か壊れたのか?」と怪訝そうに言うのだった。
勿論優希は昼間の出来事なんて知らない。
澪の哀しみなんて、知るよしもない。
取り敢えず、優希はプラグから手を離したので、澪は安堵の息を漏らし、押し入れに自分で入っていった。
40: 名前:みるみる☆10/01(金) 15:40:03
澪がぎゅうぎゅう詰めになった小さな押し入れでじっとしていると、すぐに来客用の呼び鈴が鳴った。
そう言えば、この呼び鈴が鳴ったのを初めて聞いたかもしれない、と澪はふと思った。
大人びた、女の人の声。
すぐに優希は玄関の扉を開け、その人を出迎えた。
昼間の出来事が思い出される。
クレアも優希にも、それぞれに大切に思う人がいるのだということを、改めて実感する。
優希に妻はいない。となると恋人、もしくは――。
そこまで思考を巡らせて、澪はいつか着た薄紫のワンピースを思い出した。
ああ、そうか。そういうことか。
確かに、聞き慣れた優希の声は、何度も「澪」という名前をなぞった。
もういい。聞きたくない。
掌で耳を押さえつけて、澪は膝に顔を埋める。
押し入れの中は暗い。それは夜空のようではなく、目の前に張り付くような薄っぺらい闇だ。
澪は、世界が歯車のようだと言った絵本を思い出した。
私は、誰と歯を合わせることもなく、ただ一人で空回りを続ける歯車。
外と繋がらない。
誰にも影響しない。
ただ、繋がっているのは無機質なコード。
また独りだ。
独りは、嫌だ。
41: 名前:みるみる☆10/01(金) 16:25:57
どれくらい、その暗く、寂しい空間に蹲っていただろうか。
「もう、いいよ」
細く漏れていた光が急に広がり、澪を4畳のあの空間へ引き戻した。
生まれたての山羊、というより立てなくなった老婆のように、澪は押し入れから這い出る。
優希はそこで、澪の表情に驚いた。
その表情は、何とも形容しがたい。泣いているような、笑っているような、ともすれば嘔吐きそうな、そんな表情。
「澪、」
流石に心配になった優希は、澪の顔にかかる白い髪をかき分ける。
それは表情をもっと良く窺う為の彼なりの優しさだったが、澪はそこでびく、と肩を震わせる。手が払いのけられた。
そして、俊敏な動きで優希と目を合わせる。身が竦むような感覚。
「もう、その名前で呼ばないでください!」
さっきまでの表情が一変、激昂の形を作る。
今までになく険しく、しかしどこか嘆願するような響き。
「え? だってお前が名前を変えるなって――」
「もう嫌なんです!」
呆気にとられる優希を前に、澪の剣幕は凄まじかった。
どこからそんな感情が湧き上がってくるのか。
それはまるで、人間のようだ。
澪は優希の声なんて聞こえていないのかもしれない。
「誰かの思い出を私に重ねないでください! 私は、私でありたいんです! 私は、人形なんかじゃない――」
澪はそこで言い留まる。
人形じゃなかったら何だ。
ロボット。機械を詰め込んだ、人形。
澪は声にならない叫びを上げた。それは、或いは機械の雑音だったのかもしれない。
ぷつん、と糸が切れたように、澪の動きが止まり、そして四肢が重力に従って床に
42: 名前:みるみる☆10/01(金) 16:28:45
落ちる。もう動かない。ただ、目だけは虚ろにどこかを見つめていた。
◆
いつから使っていないんだろうというタウンページを引っ張り出して、端がめくれ上がり茶色く変色したページを捲る。
タクシーなんて、使うのはいつぶりだろうかと優希は少し考えて、止めた。意味のないことだ。
適当な番号に電話を掛けたあと、優希は昨日の夜から動かなくなってしまったロボットをちらりと見た。
最近調子がおかしかった。試作品だから、どこかに不具合があっても不思議ではないのだけれど。
しかし、故障した時にすぐに友人の元へ運んで行ける交通手段を、優希は持っていなかった。
「結局お前、失敗作だったんだ」
自分の発した声が、思っていたよりも同情の色を含んでいたのに優希は少なからず驚いたけれど、ロボットは何も答えない。
まずいっとうに問題だった短すぎるコードも、今は優希によって束ねられていた。
あと10分もすればタクシーが来るだろう。優希は静かだと思った。ロボットが喋らない云々ではなくて。
外から蝉の鳴き声が聞こえてくることもない。まだ早朝だ。
そばの道路を走る車の走行音もない。
何よりも、部屋にずっと響いていたらしいモーター音が、無い。
その音は、優希が気付かない間もずっとしていたのだろう。人間も、死んだ時には、自分の鼓動がどれだけうるさかったかに気付いたりするのだろうか、と優希はぼんやりと思った。
49: 名前:みるみる☆10/04(月) 15:48:47
突然白い髪の女をお姫様抱っこして乗り込んでくる男を見ても、タクシーの運転手は何も言わなかった。
聞かれたらどう答えようか決めかねていた優希は、取り敢えずほっと息をつく。
行き先を手短に伝えると、運転手は無愛想に返事を返した。
どうやら深夜まで仕事があったようで、あまり眠っていないのか、缶コーヒーのブラックの空がいくつか置いてある。
缶コーヒーのブラックは新聞紙を煮詰めたような味がするので優希はあまり好きではない。いつもミルクや砂糖でごまかした物を買う。
早朝の道路はまだ空いていて、真っ直ぐな道はずっと向こうまで車の影が見当たらない。
別に早朝ではなくても良かったのだけれど、白い髪の女はなかなか人目を引くので、優希はわざわざ早起きをしたのだ。
これからはしばらく早起きだ。朝ご飯を作ってくれる人はもういない。
「人じゃねえけど」
思わず呟いてしまったが、運転手は気にする素振りもない。
まあいい、好都合だ。
窓硝子の外で線になっていく代わり映えのしない風景は、すこし水色がかっているようで、ひんやりした空気を思わせる。
こんなに朝早く行けば、友人は怒るだろうか。
壊れた自分の作品を見て、がっかりするのだろうか。
ふと。急に視界がぐらりと揺らめいて、優希はバランスを崩した。
どうして? ずっとこの先も、真っ直ぐな一本道だったはず――
ちらりと前を見ると、今自分が乗っているタクシーが、センターラインを越え、反対車線を走っている。
一気に頭の芯が熱くなる。掌にさっと汗が浮かんだ。
「え? ちょっと、運転手さん――」
運転手はひどく、ひどく前傾してハンドルを握っている。
いや、もたれかかっているような。
心臓が早鐘を打つ。慌てて、優希は身を乗り出した。ハンドルをとにかく戻さないと。
その音に、運転手はやっとぴく、と動いた。
そして、焦ったその男は何を思ったか。アクセルをベタ踏みした。
慣性の法則に従って、乗り出していた優希の体は後部座席に叩きつけられる。
短い呻き声もエンジン音で聞こえない。
止まらない。
車は加速を続ける。もう止められない。制御不能。
電信柱が目の前に。どんどん大きくなる。
「ああ、ああああ――」
目を反射的に閉じようとした、その時。
白い髪が揺れた。
歩道に乗り上げた衝撃のせいか、白い腕が浮き上がり、首に掛かる。足の間に彼女の右膝が。彼女の、白い瞳がこちらを見ている。虚ろだったはずのその目。
揺れる視界。なんだ、笑っているのか。泣いているのか。またその表情か。優希は昨日の出来事を思い出した。お前、コンセントはどうしたんだよ。
鼻先と鼻先が触れ合う。
「ちゅっ」
澪の背中の方で、フロントガラスが粉々になるのが見えたところで、優希の意識は途切れる。
50: 名前:みるみる☆10/05(火) 16:30:3
◆
そうして、今に至るわけです。
事故の翌日、小さく新聞に「居眠りタクシー運転手事故死 乗客1名重体」と記事が載っていました。
勿論、あのロボットについての記述はありません。
可哀想に、ばらばらになってしまった、私のお姉さん。
リノリウムの床を歩いていくと、すぐに病室が見えます。
一般病棟に移ったばかりの優希さん。足音で、こちらに気付いたようです。
前を歩いていた私の生みの親は、よお、と親しげに手を振った。
「元気ぃ? まあ元気なわけ無いかー。両足複雑骨折、肋骨3本損傷、全身打撲じゃあ、ね」
分かっているのなら聞くな、と言いたげに、優希さんは目を細めてこちらを見る。眉毛がぴくりと動いた。
私に気付いたようだ。彼は黙ってじっとりこちらを見ている。
「あちこち痛いけど、まあ元気さ。お前は何だ、彼女を見せびらかしに来たのか」
「やだなーもう。お見舞いに決まってるじゃん」
そして、ベッドの横に週刊誌やら雑誌やらが積み上げられた。
花よりもこちらが良いといったのは優希さんだ。
「それに、こいつは俺の彼女ではないのだよ。ふふん」
その言葉に、優希さんは訝しげな顔をする。じゃあ何でそこにいるんだよ、と言う心の声が聞こえてきそうだ。
暫くの間、沈黙が流れる。冷房の音が大きくなったように感じた。
「前のやつより、ずっといいぞ」
目で促されて、私は動けない優希さんの目の前に移動した。
深々と、お辞儀をする。優希さんはその動きを目で追っているようだった。
「初めまして。私には、コードも要らない機能もついていません。貴方のために仕え、貴方に奉仕します。優希さんの年齢に合わせて、外見は25歳前後にしておりますが、変更も可能です」
そして、私は頭に組み込まれたマニュアル通りに口角を上げ、少し首を傾げて微笑んだ。
優希さんは、そこで「ふっ」と笑ったようだ。
「いらない」
優希さんはまた笑う。笑っているのだけれど、今にも泣き出しそうな、無様な表情だ。
所詮私には人間の複雑に入り交じる感情なんて、全て理解できるわけではないけど。
しかしその表情も一瞬で消える。全くの無表情は、私の姿を捉えた。
「いらねぇよ。もうこんな思いはご免だ。泣いたり、笑ったり、怒ったり、苦しんだり。そんなのは――人間だけで充分だ。」
めでたし、めでたし。
51: 名前:みるみる☆10/05(火) 16:44:26
\あとがきだよっ/
やっぱりお終いが上手く書けない女、みるみるでございました。
なんだかいまいち何が言いたいんだか分からないお話ですみません……。部屋を掃除していた時に掃除機のコードが抜けてしまって「おーこれいいじゃん」って突発的に思いついたのがこれだったのです。
なので頭の中でぼんやり浮かんだのを書き出しちゃった、みたいな。
あと何故か貧乏アパートの貧乏暮らしを書いてみたかったんです……。
このお話を書いている間、次のお話は何にしようかなーと思っていて、結構煮詰まってきたので書いてみようと思います。
このお話よりは中身があるように頑張りたいと思います。
多分題名は「ひと夜ひと夜に」(ひとよひとよに)だと思います。
これも√2を見た時に思いついた物ですが……
まあ「何かやってるねー」ぐらいで見てくださると嬉しいですw
それでは、こんなところまで読んでいただき、本当に本当にありがとうございました!