しずく   ランプ




 ぼくは今日、彼女に別れを告げる。特に理由はない。潮時かな、そう思っただけ。最後のデート、そして彼女と過ごす最後の日の今日。ぼくは待ち合わせ場所までただ悶々と足を進める。ジャケットのポケットに両手を突っ込み、お決まりの猫背で四角いコンクリートが敷き詰められた歩道の上をただひたすらと。
 わざとらしいくらいの大きなため息は白く儚い。むわん、と出てきてあっという間に消えた。どうやら、ぼくの出す煙からは魔神が出てこないようだ。もし出てきたなら、ぼくは彼女を傷つけずに別れられる方法を訊ねるのに。ぼくの欲にまみれた願いは二の次でいい。別れても大事だと思える、特別な存在である彼女を悲しませたくない想いが胸を支配する。
 では、別れなければいい。しかし、そうはいかない。今日で、終わりなのだ。意固地になっているだけかもしれない。それでも、もう決めたんだ。さよなら、する。なんと言おう、なんと言えば十の悲しみが三になってくれる? 他の誰かの方が君にはふさわしい、だとかのどこかで聞いたことのあるセリフなんて使いたくない。そもそもそんな無責任なこと、言えるはずがないだろうに。それなら素直に、理由はないけど別れようと告げようか。それこそ理不尽すぎて、彼女を苦しめる。
 今日も彼女はぼくに手を振るんだ。何も知らず「おはよう」と笑って。彼女はいつだって笑顔を絶やさない。彼女全身がぼくを好きだと主張しているのが肌で感じられるし、いつだってぼくを最優先に考えてくれる。告白してきたのは彼女だった。お互いすごく緊張していたのを覚えている。彼女はぼくのアンニュイさが好きだと言った、透き通ったふりの目が好きだと笑った。それから、ぼくという様態に合わないさらさらの髪が好きだと頭を撫でた。ぼくは彼女と違う人間だった。それが、良かった。健気な姿が大好きだった。自慢の、彼女なんだ。
 なのになぜ? わからないよ。
 ぐう、とお腹が鳴る。こんな時でさえ食欲はあるのか。不謹慎な腹の虫をいくばくかうらめしく感じながら、彼女が作ってくれたお弁当を思い出した。無骨なおにぎりも、あますぎるたまごやきも、味がしみまくった煮物も、記憶とはいえ、すでに遠い。特別おいしいわけじゃないあのお弁当が食べたい。
「お願いしまーす」
 何を。と思考を遮られて不機嫌になる。行く手に差し出された風俗のティッシュを睨んだあと、また彼女との思い出がよぎった。トイレットペーパーで鼻をかむ、花粉症のぼくを気遣って鼻セレブを買ってきてくれた。ぼくはあてつけもいいところで「鼻セレブじゃないと嫌です」とやる気皆無の女に吐き捨てた。
 早く、会いたい。
「おはよう」
 声の方に顔を向けると、約束の馬のオブジェの下で彼女は手を振っていた。いつものように、愛らしい笑顔で。
 次のデートは永遠に延期だ。特に理由はない。


おわり





よしよし、まだ順調(笑)
恥ずかしいくらいに(笑)
あれ、順調、ですよね?まだ、恋愛してますよね・・・?