しずく   二、 雪野君とわたしの秘密のそのあとに



「違うよ」
「じゃあ、なんで……」
 微笑む雪野君に、不快感さえ、覚えた。
「単純に、見て欲しかったんだ。笹沢さんに、僕が殴られているとこ」
 トリハダが全身に広がる。雪野君は、饒舌に自分の性癖を述べる。わたしの耳に入って、実際に理解できるのはほんのごく一部で。途切れ途切れに解釈できた言葉を繋げる。
 なにか発しようとしたときにはすでに彼は立ち上がっていた。
「行こう、笹沢さん」
 下校を共にし、雪野君は何ごともなかったかのように、それこそ恋人同士がする他愛もない話をわたしに語りかける。時折、わき腹をさする姿に、さっきまで雪野君は殴られていたのだと気付かされる。あまりにも顔がきれいなのだ。ばれないように、相手側が配慮したのか、それとも、これもまた彼が醸し出すなにかのせいなのか、彼の顔は痣どころかかすり傷ひとつない。
「雪野君は、ドエムで。それで、殴られて興奮して。それだけじゃ飽き足らず、視姦されたかった」
 唐突に放ったわたしの言葉に、雪野君は話を遮られた嫌悪を浮かべることもなく。「うん」と、はにかんだ。


 不満そうな雪野君が目の前に立っている。相変わらず、死守したわけでもない顔はきれいだ。
「ちゃんと、見てた?」
 「あ……えと……」すみません、昔を振り返っていました。
「まあ、いいや。行こう。アイス食べたいな」
 すでに雪野君の顔から不機嫌は消え去っていた。
「ねえ、雪野君」
「なにー?」
 雪野君は、相変わらずおしゃべりだ。それを決してクラスで見せることはないが。
「ううん、ごめん。なんでもない」
「そう?」
「それより、大丈夫?」
「うん」
 「雪野君は変態だ」わたしは最近、頭の中でそればかり繰り返す。自分へ、言い聞かせるみたいに。
「またあした」
「……またあした」
 雪野君はわたしに視姦させては、千円を渡す。せんえんをわたす。一度たりとも、忘れたことはない。


***


 一緒に帰るときは、雪野君にとっての情事があった日。今日も例外ではない。ただ、いつもと違うのは雪野君が口端から血を滲ませていたこと。
「いたっ……」
 いちごみるくのアイスを舐めて、雪野君は顔をゆがませる。すっかり夏になり、日も長くなった。アイスを買って食べながら帰るのが日課に加わった。
「大丈夫?」
 立ち止まって、ポケットからハンカチを取り出す。雪野君の額や首筋に流れる汗も気になったが、わたしは迷うことなく雪野君の唇にハンカチを押し当てた。
「ちょっと! 血、付くよ!」
「黙る」
「……」
 雪野君は素直だ。
「なんで、今日は顔殴られたんだろうね?」
 「……さあ」雪野君は、合っていた視線を逸らした。
 いままで一度も顔に殴られなかった、とゆうのも不思議であるがそこはもう雪野君のオーラのせいだとしてわたしは納得している。
「はじめてでしょ?」
「うん」
 ハンカチを離し、血が付いているのを確認して再度押し当てる。
 はじめてなのは、顔を殴られたことだけではない。
「痛い?」
「いちごみるくが、鉄の味になった。鉄の味、なるほど。って。うん、そう、痛い」
 照れているのか、伏目がちの雪野君を見ながら、さっきのことを思い出す。
 会員ナンバー4のドキュン先輩とその子分がスッキリした表情で帰るのを確認して、顔を押さえ体育座りでうずくまる雪野君に近寄る。
 いままで、殴られている現場を散々見てきたとゆうのに、顔がきれいなままの雪野君をいざ前にすると、彼がさっきまで殴られていた現実が一瞬にして色褪せる。映画でも観ていた気分になる。スクリーンと現実は違う。フィクションは、雪野君のきれいな顔で成り立っていた。雪野君の顔を見るのが、こわかった。もう、雪野君と一緒には帰れないかもしれない。そう、思った。


つづく